「僕の苗字になってください」というプロポーズは、時代遅れでハイリスク!?
ひと昔、いえ、ふた昔前は、女性が愛する男性と結婚し、その男性の姓を名乗ることは幸せの象徴ととらえられました。あなたの姓になりたい、僕の姓になってほしい、という言葉もごく一般的なものとして社会的に受け入れられていたと思います。
今日では、どうでしょうか。
本年6月23日、いわゆる選択的夫婦別姓制度、すなわち婚姻した男女が同性とするか別姓とするかを選択できる制度について最高裁判所の判決が下されました。平成27年最高裁判決に引き続き、最高裁は選択的夫婦別姓制度を採用していない現行法を合憲としました。
皆さんはどのように感じますか。当然でしょうか。それとも、おかしいでしょうか。
この問題は、氏(姓)をどうとらえるかと深く関連しています。人は、生まれたときに名前を与えられ、その後、生活、学校、職場とあらゆる場面において、その氏名とともに、生きていきます。多くの人が、自分の氏名にアイデンティティを感じているのではないでしょうか。こうして氏名は人格的の一内容を構成するとされています。
ところが、現行法のもとでは、婚姻する場合、必ず夫婦が同じ姓にならないといけません。そして、女性が婚姻とともに男性の姓に改めるのが圧倒的多数です。
たしかに、夫婦同氏制には、家族であることを対外的に明らかにする、家族もまた同一の氏をもつことで家族としての実感や一体性が生まれる等の実益があります。しかし、時代とともに、婚姻や家族をめぐる状況は大きく変化しています。晩婚化、非婚化が進み、離婚・再婚も増加し、夫婦と子どものみの世帯の割合も大きく減少しています。氏の異同を超えた家族の対応によって生計や子の養育等が支えられる場合もあり、家族の在り方は、著しく多様なものとなっています。
このような多様化する現実社会から離れて、およそ例外を許さない、という考えに合理性はあるのでしょうか。
本件最高裁判決は、結論において合憲という判断にはなりましたが、正確にいうと、夫婦の氏についてどのような制度をとるかは立法政策として相当かという問題であり、国会で論ぜられ判断されるべき事柄であると述べています。また、裁判官15名中3名の裁判官が憲法違反であるという反対意見を述べています。
国際的にみると、日本は、昭和60年に女子差別撤廃条約を批准しており、女性が男性と同じく、自由かつ完全な合意のみにより婚姻ならびに姓を選択する権利を有することが求められています。同条約の加盟国のなかで、現在、日本のみが、夫婦の同一の姓を義務付ける制度を採り続けており、女性が婚姻前の姓を使用し続けられるように法律を改正するよう繰り返し勧告を受けています。
ここまで読んでくださった皆様に、もう一度、お伺いいたします。「僕の苗字になってください」というプロポーズ、あなたの愛する女性はどう感じるでしょうか。