保毛尾田保毛男とセクハラ・パワハラ
フジテレビが、30年前の番組に出演していた保毛尾田保毛男の映像を流したところ、LGBTの協会から抗議があったりして、社長が謝罪する騒動になりました。
感情的ではなく、論点を整理して冷静に分析してみましょう。
まず、自由な社会では、表現の自由が尊重されなければなりません。
法律を学んだ人ならだれでも、あらゆる権利の中で表現の自由がいかに重要であるかについて知っていることでしょう。
歴史上、権力者が表現の自由を認めずに、自分の思うように社会をコントロールしてきたという歴史があるからです(現在でも北朝鮮では表現の自由が認められていません)。
他方で、表現の自由も万能ではありません。
みなさんの会社でも、パワハラやセクハラになるような発言が許されないことはご存知だと思います。
最近だと、ヘイトスピーチと呼ばれる言動が、裁判所から違法だという判断を受けています。
このように、表現の自由とVS個人の権利(名誉など)は緊張関係にあるのですが、あまりにもうるさすぎると表現の自由が認められなくなりますし、何を言ってもいいとなると自由な活動(個人の価値観に基づく行動など)が妨げられることにもなりかねません。
今回の問題でさらに難しいのは、30年前の放送当時はそれ程意識されていなかったことが、時代の変化で問題であると認識されるようになってきたところにもあります。
このような場合、表現を自粛するのか、あるいは、当時の表現であって現代では不適切だという注釈を入れるかという対応の必要があります。
考えてみたらセクハラやパワハラも、昔は日常茶飯事だったという声をよく社長さんから聞きますが、今回の件と同じような構造であり、言葉の持つ意味や社会的影響は時代とともに変わっているということを、意識して行動する必要がありますね。